同窓会概要

歴史

Origin~源流~

右側のスケート靴姿が四男・信四郎氏、スキーを持つのが長男・成一氏、テニスのラケットを持つのが次男・悌二氏と長女・雪さん、左端でバットを持ったのが三男・謙三氏。(大正五年頃の写真)

南光学園東北高等学校の校祖 五十嵐豊吉は知識の習得だけでなくスポーツを通して肉体と精神を鍛えることを教育の柱にしていました。明治三十八年には校友会を発足させ、九つの部を設立。
これが現在の部活動の土台となり、今日のスポーツの盛んな校風につながっているのです。
写真は、豊吉の五人の子供たち。彼らはスケートやスキー、テニスなどを思いっきり楽しんだといいます。
後に、たくさんのオリンピアンを育てることになる東北高校の教育の源流がここにあります。

東北中学校から東北高等学校へ

本学園は明治27年に仙台数学院という一私塾としてうぶ声をあげた。以来、124年の歴史を刻んで今日に及んでいる。学園の創設者は上野清・五十嵐豊吉・大松沢実政の三氏であるが、上野清先生は当時、東京数学院(現在学校法人上野塾、東京高等学校・東京実業高等学校)を経営する著名な数学者で、宮城黒川郡出身の大松沢先生と、山形県酒田市出身の五十嵐先生は共に東京数学院に学んだ上野先生の門弟にあたる。仙台市長の要請を受けて小学校の先生のための数学講習会に来仙する上野先生、その代行をつとめた五十嵐先生が、地元大松沢先生の協力を得て数学教授のための私塾を仙台市東三番丁に開設した。仙台数学院はこうした機縁から誕生したのである。
塾運営の中心となった五十嵐豊吉先生は当時弱冠27歳、創業の苦しみの中で青少年の教育に対する熱情を増幅させていった先生は、単なる知識・学問の伝授に飽きたらず、殊にイギリスの私立学校に見る人格の陶冶、「人」を育てる教育の実践を志し、地域の篤志家や有識者を訪ねて協力を請いながら、数年にして北一番丁(現上杉山公園)に独自の校舎を建設、明治33年には文部省の認可を得て、中学校の設立を見るに至るのである。五十嵐豊吉先生は自らその初代校長に就き、広く東北各地から青少年を集めて、自由闊達・師弟協働の教育を実践、今日における学園教育の基盤を作られたのであった。
昭和4年、現在地へ移転、戦後の学制改革により、一時東北中字校・東北高等学校及び東北商業高等学校を併せ経営した時期もあつたが現在は東北高等学校に統合されている。

校風の源流

五十嵐豊吉校長は教育の方針を、「知徳の研磨、体育の振作を説き、教育とは決して知識の習得だけにあるものではなく、同時にスポーツを通して肉体と精神の鍛練を図り、私学ならではの在野精神を育成せねばならない」とした。
明治38年(1905)校友会(今の生徒会)として雑誌・弁論・撃剣・柔道・弓術・野球・庭球・短艇・庶務の9部を設け、今日の本校の部活動につながる源流とするとともに、スポーツ興隆の校風を生む基盤ともなっている。
現在、東北高校には、難関大学現役合格を目指す生徒、それぞれの目標をもって大学受験に臨む生徒、スポーツで活躍することを夢見て日々精進する生徒、将来の夢を見つけるためにさまざまなことにチャレンジする生徒……、実に様々な個性が溢れている。そして、その一人一人に目を向け、心を添わせる先生たち。創設以来124年が経過しているが、初代校長五十嵐豊吉先生がこの光景を見たら、きっと満足そうに微笑まれることだろう。

明治27年(1894) 仙台市東三番丁75番地に私立東京数学院宮城分院創設。院長上野清、幹事五十嵐豊吉、大松沢実政。校名を仙台数学院と改称。
明治31年(1898) 北一番丁139番地に新築移転。生徒数153名。
明治33年(1900) 私立東北中学校設立。五十嵐豊吉初代校長に就任。
明治35年(1902) 2の30乗の講演より「300年計画」発足。
明治36年(1903) 仙台数学院創立10周年・東北中学校認可3周年記念に椿時中先生作詞の祝歌「前に宮城の野をひかへ」発表。
明治38年(1905) 校旗制定。第5回卒業生より校旗寄贈。
明治42年(1909) 第9回開校記念運動会。椿時中先生作詞の祝歌「前に宮城の野をひかへ」を校歌として斉唱する。
明治44年(1911) 社団法人宮城県私立東北中学校と改称。校長宅北一番町139番地より小田原字庚申前93番地に転居、同敷地内に生徒寄宿舎「三楽寮」(木造2階建て)建つ。
大正5年(1916) 1月4日創設者のひとり、大松沢実政先生死去。1月9日校葬。
大正9年(1920) 財団法人東北中学校と改称。
大正13年(1924) 6月21日創設者のひとり上野清先生逝去。6月25日校葬。五十嵐豊吉先生教育功労者として勲6等瑞宝章を授かる。
昭和4年(1929) 市内原町小田原字南光沢57番地の現校地に移転。
昭和5年(1930) 財団法人南光学園と改称。東北商業学校設立。校長五十嵐豊吉。
昭和14年(1939) 財団法人東北薬学専門学校設立、理事長五十嵐豊吉。
昭和16年(1941) 3月9日創設者初代校長五十嵐豊吉死去。享年70歳二代校長五十嵐成一就任。
昭和17年(1942) 東北商業学校校歌「三百余年 名君の・・・」制定。
昭和18年(1943) 二代校長五十嵐成一病気のため急逝。三代校長五十嵐信四郎就任。国策に従い東北商業学校を転換して東北農業学校を設置。
昭和22年(1947) 東北農学校を廃止し、東北商業学校に転換。
昭和23年(1948) 学制改革により東北中学校、東北高等学校および東北商業高等学校設立。
昭和26年(1951) 学校法人南光学園と法人名を改称。理事長に五十嵐信四郎校長就任。
昭和33年(1958) 鉄筋コンクリート商業実践教室落成。
昭和34年(1959) 創立60周年記念式典ならびに初代校長銅像除幕式挙行。
昭和35年(1960) 東北商業高等学校および東北高等学校を統合して東北高等学校とし、普通部および商業部を置く。初代校長夫人歌碑建立。
昭和37年(1962) 創立記念日と開校記念日を統合し、9月3日を創立記念日とする。帽章「南光」の文字を「東北」と改む。
昭和38年(1963) 第一期工事鉄筋コンクリート4階建北校舎落成。
昭和39年(1964) 第二期工事鉄筋コンクリート3階建管理棟落成。東京オリンピック出場選手(5名の卒業生)の壮行会を行う。 陸上競技 誉田 徹・油井 潔 自転車競技 赤松俊郎・河内 剛 柔道 神永昭夫創立70周年記念式典挙行。屋外スケートリンク完成
昭和44年(1969) 三代校長五十嵐信四郎退任。四代校長五十嵐のぶ就任。
昭和45年(1970) 創立75周年記念体育館落成(フロア、柔道場、剣道場、レスリング場)。
昭和47年(1972) 理事長五十嵐信四郎退任。理事長に五十嵐のぶ校長就任。
昭和48年(1973) 四代校長五十嵐のぶ退任。五代校長佐々木鋭市就任。
昭和49年(1974) 屋外プール竣工。卓球場、食堂落成。鉄筋コンクリート4階建西校舎落成。創立80周年記念式典挙行。
昭和50年(1975) 五代校長佐々木鋭市退任。六代校長五十嵐のぶ就任。
昭和51年(1976) 理事長ならびに六代校長五十嵐のぶ退任。理事長ならびに七代校長五十嵐迪雄就任。
昭和52年(1977) トレーニングセンター竣工。
昭和53年(1978) 第2体育館落成。
昭和54年(1979) 合宿所「鵬翼館」落成。記念講堂を補修、「三楽記念館」と命名。
昭和55年(1980) 校内に2キロのトレーニングコースを設置。本校独自の夏季制服を制定。旧寄宿舎「三楽寮」老朽化のため解体。
昭和56年(1981) 前理事長・校長・故五十嵐のぶ学園葬。(昭56.5.21死去)
昭和58年(1983) 本校独自の通年用制服(ブレザー)を制定。
昭和59年(1984) 東北中学校発祥の地(上杉山公園)に校碑建立。「東北高等学校同窓会奨学基金」発足。創立90周年記念式典挙行。
昭和61年(1986) 南校舎改修工事を行ない、2階を普通教室に、1階を芸術科教室として使用。相撲場西側に部室2棟を新築落成、併せ相撲場を新設道場開きを挙行。
昭和62年(1987) 第二校地(仙台市泉実沢)を取得。
昭和63年(1988) 第二校地(泉校地)体育施設地鎮祭を拳行。校長泉校地を“Athle Field 21”(アスレ・フイールド・トウエンティ・ワン)と命名。
平成元年(1989) 泉総合運動場“Athle Field 21”の竣工式挙行。本学園と仙台クリスチャンアカデミーが新たに設置した「仙台アメリカンスクール(SAS)」を開校。:開校式に当時の駐日大使マイケル・H・アマコスト氏来校。現在、東北インターナショナルスクール(TIS)に改称。
平成2年(1990) 創設者五十嵐豊吉先生50回忌法要を行う。泉総合運動場“Athle Field 21”の第2期工事完成。
平成3年(1991) 通年用制服(8年振り)並びに夏季服装(11年振り)に芦田淳氏のデザインによりモデルチェンジする
平成4年(1992) 学校週5日制完全実施。
平成5年(1993) コース制を導入した総合型高等学校スタート。普通科に創進、文理、文教の3コース。商業科にビジネス、ザ・コースフェスティーナを置く。泉校地に泉キャンパスを設置、ザ・コース・フェスティーナを置く。
平成6年(1994) 創立100周年を迎える。泉校地に校舎落成。(西校舎)創立100周年式典挙行。(仙台市体育館)
平成7年(1995) 泉校地にザ、スクール・フェスティーナとしてジェネラルコースとインディピジュアルコース(インターナショナル・スポルティーポ・クラシックの3つの類型共学校)がスタートした。
平成8年(1996) 泉校地に東校舎落成。
平成9年(1997) 八代校長半澤義巳就任。小松島校地三楽記念館解体。跡地に新校舎工事始まる。東北インターナショナルスクール(T.I.S)開校。
平成10年(1998) 小松島校地に新校舎,全天候型グラウンド落成。長野冬季オリンピックにフィギュアスケート男子シングルの本田武史・田村岳斗・女子シングルの荒川静香・ペアの荒井万里絵の4名が在学時に出場。
平成11年(1999) インディビジュアルコース・クラシックに総合進学を置く。小松島校地に新食堂落成。
平成12年(2000) 八代校長半澤義巳死去。学園葬。九代校長五十嵐迪雄就任。
平成13年(2001) 文理コース 男女共学 スタート。
平成15年(2003) 九代校長五十嵐迪雄退任。十代校長堀田壽一(ほったじゅいち)就任。
平成16年(2004) ビジネスコース、フェスティーナ・ジェネラルコースの共学がスタートし、全コース共学となる。
平成18年(2007) 十一代校長五十嵐一彌就任。小松島キャンパスに特別進学創進コース、特別進学文理コース、カレッジ進学コース、総合スペシャリストコースを、泉キャンパスにクラシック特別進学コース、クラシック総合進学コース、インターナショナルコース、スポルティーボコース、フェスティーナコースを置く。
平成21年(2009) 商業化を廃止、普通科を創進コース、文理コース、文教コース、スポーツコースに再編する。
制服を「コムサデモード・スクールレーベル」に変更する。
平成21年(2009) 理事長に大槻秀樹就任。
平成22年(2010) 東北インターナショナルスクールが、泉キャンパス東校舎に移転。
平成22年(2010) 泉キャンパスに新食堂(ティーズカフェ)落成。
平成23年(2011) 泉キャンパスに総合コースを置く。
平成23年(2011) 東北高等学校が、日本大学の提携校となる。
平成29年(2017) 十二代校長五十嵐征彦 就任。
小松島校地に中央校舎完成。

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